自己理解

「反教育論」良い子ほどダメになる

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私が最近ハマっている泉谷閑示先生の本をまたまたアウトプットしていきます。

今回は子育てと教育に関しての本です。

私が印象に残った部分をアウトプットして、私なりに理解したことを付け加えていこうと思います。

今回の本のおすすめの方

  • 子育て中の方
  • 誰かを教育する立場にある人
  • 対人関係の仕事をしている方

「頭がいい」とは、記憶力がいいことではない

頭がいいと聞くと、いろんな知識を持っていたり、記憶力が良かったりする人を思い浮かべるかもしれません。

ですが、本書では頭がいい人のことを「柔軟性に富んだ経験記憶」が優れている人であると述べている。

どういうこと?

これは経験すればするほど、磨きがかかっていく性質のものです。と書いてあります。

一旦この逆を見て見ましょう。

柔軟性に富んだ経験記憶の逆は「その場だけの記憶」です。

例えば、

  • 定期試験の一週間前に何をやった人かも知らず単に名前だけ覚えた歴史上の人物や事件、年号
  • 就職試験で「こうやったら受かりやすい!」と書かれた就職対策をそのままやる、エントリーシートや面接

これってその場が終わってしまえば、記憶からすぐになくなってしまい何を言ったか?とか何にも覚えてないですよね?

でも、この「その場だけの記憶」が良かったがために高学歴を手にしていて、出世をしている人もいて

世間の風潮的にその人を評価する仕組みになっていることが問題だと指摘しています。

私もこれはすごく共感しました。

私はこの「その場だけの記憶」のみを磨いてきた人なので痛いほど理解ができます。

学生の当時は「テスト当日だけ単語覚えていればテストで点数に取れるし、

背景とかなんでそうなったとか考えても意味ないっしょ!

って思っていました。

とりあえず「頭いい」の定義をきちんと見直すことができて良かったです。

その場だけの記憶の逆が頭いい人の定義です。

疑う心を持つことが大切

考えるとは、本当にそうなの?なんでだろう?と疑うことです。

この疑う姿勢が勉強の第一歩目です。

実際歴史上に名を残す発見をした人は、すべて疑う心からはじまっています。

「地球の周りが回っていて地球は動いていない」が常識だった天動説の時に

「いや、本当は地球自体が動いているのでは?」と疑問を持って地動説を唱えたコペルニクスなど

数えたらキリがないぐらい、前提を疑ってきた人の歴史があります。

現在の学校でこの「疑う姿勢」をやったらどうなるでしょうか?

「先生!微分とか積分って世の中のどんなところに使われてどう役に立っているんでしょうか?」

「先生!なんで古文とか漢文とか今では使われていない文章を学ぶのでしょうか?」

なんかめんどうくさい生徒だなって思っちゃいそうですよね。

とりあえず、そんなのどうでもいいから覚えろ!って言われそうです。

でも、本来の勉強の姿はその疑問にちゃんと向き合っていくことです。

現在の教育では「その場だけの記憶」があれば評価されるので、なんでそうなった?とかは必要のないものとされています。

疑う心は忘れずに持っていきましょう。

竹原ピストルの歌詞の重要性がわかった

反抗と聞くと、悪い子!嫌なこと!と考える人もいるかもしれません。

ただ、本書では反抗することについて素晴らしいこととしています。

人間は王や身分が上の人に反抗を繰り返した結果、精神的にも発達してきたと言います。

反抗の逆の意味は「服従」です。

これは、思考停止状態で誰かに言われた通りにやるということです。

著者は服従がいいこととされている現代に対してよく思っていません。

日本には「和を重んじろ」「空気を読め」「長い物には巻かれろ」「郷に入れば郷に従え」など

服従がよしとされる言葉がたくさんあることがわかります。

つまり、思考停止状態の人が多く生まれる仕組みということです。

なにかに反抗するということは、自分の中のこうあるべきだ!という考えを持っているわけですから

自分なりの考えを持って行動しているということです。

なんにも反抗しない「いい子」は扱いやすいがゆえに評価されがちですが

単に周りの声に流されているだけで、自分の考えなどない思考停止している人であると言えます。

こう見ると大人のいう「いい子だね〜」っていうのがいかに大人の都合で作り出された言葉であるかわかります。

なので大人は子どもの反抗を「自分の頭で考えている素晴らしい行動」とみましょう。

竹原ピストルの「よーそこのわけーの、俺のいうことを聞いてくれー、俺を含め誰のいうことも聞くなよー」の

歌詞の大切さが理解できました。

わがままな子はダメな子ではない

わがままと聞くと、大人のいうことを聞かないで周りに迷惑をかける子みたいなイメージがあると思います。

ですが、本来「わがまま」というのは、「我が・まま」と書き、自分のあるがままみたいなイメージの言葉でありました。

普通に使われている「わがまま」と「我が・まま」では意味的に大きな差がありそうですよね。

人は何かしらに服従するものであると筆者は言っています。

他人のルールに服従するのか、自分のルールに服従するのかの2種類の人間がいます。

この自分のルールに従う人を「わがまま」と言い、普段使っている意味である、迷惑をかける人のことを指すものではないと言っています。

こう聞くとわがままな子って自分の軸がしっかりしていて、決して他人に流されない子であることがわかります。

わがままに対する誤解を解いていきましょう!

言うことを聞かない子どもになっても「しつけ」失敗ではない

電車の中で騒ぐ自分の子どもを見て、親であるあなたはどう思いますか?

「うわーマジか!しつけ間違えたな。。。」

「どうすれば、きちんと落ち着きのある子になるのかな??」

なんて悩んだりしていませんか?

このように思うのが大きな間違いと著者は言います。

電車の中は静かにする場所だよ〜とルールを伝えれば良いだけであって

何も感情的になることは必要ないと言っています。

サッカーに例えると、「試合中にボールを手で触ったからと言って、大人を侮辱しているわけではない」 

これと同じであると言います。

サッカーのルールは手を使わないことなんだよ、と単に教えてあげればいいだけです。

自分がやりたいことじゃないと人に感動は与えられない

最後に一番伝えたいことです。

それは自分がやりたいことじゃないと人に感動は与えられないということです。

逆に言うとやらされてやっていては決して人の心は動きません。

歌手が「歌うのいやだな〜」と思っていたらそれは声や雰囲気で伝わってくるものなのです。

あなたがイヤイヤで仕事をしていたり、何かをしている時は周りは気づいています。

他人に言われてイヤイヤやることを著者は「器用なサルの芝居」と同じであると言っています。

やっぱり自己理解コーチとしてもここをきちんと伝えていきたいです。

それって本当にやりたいことなのか?

必ず自分が本当にやりたい、夢中になれることは全員にあります。

対話を通じて、必ずあなたの夢中を探して、人に感動=ありがとうをいただけることを仕事にできるようサポートします。

ぜひ私が受けた自己理解プログラム体験談も参考にしてください。

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