最近読んだ本の中でもかなり学びがありましたのでしっかりアウトプットしていきます。
- 子育て中の人
- 人生に悩んでいる人
にオススメの本となっています。
印象に残っている部分を抽出していきます。
子育てにおいて大切なことは「自分の子どもを他者」として見ること
これはどういうことかというと、自分の子どもも一人の人間であるからちゃんと見てあげましょうよということです。
例えばお父さんが若い頃、プロサッカー選手を目指していたけれど叶わなかった。
だから自分の子どもには自分の分も頑張ってサッカー選手になってほしい。
これは子どもを一人の人間として見ていないですよね。
お父さんと子どもは全く別の人間なのでサッカーが好きかどうかもわかりません。
だからちゃんと子どもの意見も聞きましょうよということです。
子どもを持つ私としては心に刺さるものがありました。
頭と心と身体の関係
普段からよく耳にする言葉の「頭」と「心」と「身体」という言葉ですが
どんな関係になっているかというと下記の図の通りになっております。

本書より図を引用しております。
なんだかよくわからない図だと思いますが、なにが言いたいかと言いますと・・・
身体と心は同じであり、頭とは直接繋がっていないということです。
心と頭の間にふたのようなものが付いていると思いますがこれか開いたり閉まったりします。
身体と頭は直接は繋がっていないということです。
人間以外の動物は「頭」で考えたことを行動してはいません。
心で感じたことのみを体に表しています。
例えば・・・
- お腹が空いたらから狩りに出かけて食べ物を取ってくる
- 眠いから寝る
どれも頭で考えた行動ではないはずです。
人間はどうでしょう。
頭で考えた例として
- 味はまずくて美味しくないけれど、健康と美容に良さそうだから食べよう!
- ハンバーガー食べたいけれど、太っちゃうからやめておこう
- 眠いけれど、ここで寝てたら笑われるから我慢しよう
など動物では考えられないような行動を頭で考えてしてしまうのです。
著者はこの「頭」で考えることに注意をしてくださいと言っています。
「心」を大事にしましょうと言っています。
頭が暴走して全ての行動を心を無視して、頭発信のものになるとどうなるでしょうか?
これがいわゆるうつ病などの症状を引き起こすことになります。
心の声を大切にしていきましょう。
人間以外の動物にうつ病などの症状が見られないのは「心」=「身体」であるためです。
「心」=「身体」 頭はあくまでも補佐的な秘書的な役割であり決して主役ではないことを
覚えておきましょう。
自分を変化させたい、他人を変化させたいときに注意すること
北風と太陽のイソップ寓話の話を知っていますか?

大まかなあらすじは、北風と太陽がいまして、力比べをしようとすることになった。
通りすがりの旅人の服をどっちが脱がせられるかを競った。
北風はめいいっぱい風を吹かせ、服を吹き飛ばそうとした。
しかし、旅人は寒い!と思い、服をぎゅっと握りしめ、服を脱がせることはできなかった。
一方、太陽は燦々と日差しを浴び続けた。
すると旅人は暑いと言って自分で服を脱いだ。
というお話である。
つまり、なにが言いたいかと言いますと・・・
自分に対しても、他人に対しても北風方式ではなく、太陽方式で行きましょうということです。
自分に対しての北風方式とは「頭」で考えてやろうとすることです。
一方、自分に対しての太陽方式とは「心」の声に従うことです。
他人に対してはまさしく北風と太陽の話にある通り、その問題が生み出された根源に目を向けて
解決策を打っていこうよという話です。
例えば、他人がダイエットしたいけど続かない・・・
こんな時、無理やり毎日続けろ!と言って強制的にジムに通わせたり、トレーニングを強要するのが北風方式です。
一方、ダイエットした後の輝いている姿を想像させたり、勇気付けの声かけをしたり、なにが原因でダイエットが続かないのか?の原因を一緒に考えて他人の内側から変えて、ダイエットに向かわせるのが太陽方式です。
自己理解コーチとしてデビューしたときにも活かせる考え方だなと思いました。
5本のバナナ

5本のバナナの話が印象的でした。
「バナナが大好きな日本人が貧しい国で旅行をしています。
貧しい国の人々は食べるものに困っていて、物乞いをしています。
日本人はちょうどバナナを5本持っていました。
いつもは3本食べるとお腹がいっぱいになるのですが、
1本我慢して自分は2本にし、3本をあげることにしました。
すると物乞いは「こんなものはいらない!」と一言のお礼も言わずに地面に投げ捨てました。」
というお話です。
おそらくその後の日本人は「なんでありがとうもないんだ!!せっかくこっちが1本我慢してあげたのに!!」と怒りが出るでしょう。
ですが、もし日本人が3本食べていただらどうだったでしょう。
「自分は3本でお腹いっぱいだし、2本はどうせ捨てる予定だった。物乞いが捨てても別になんとも思わないな」となったと思います。
つまりこの話は何が言いたいかは、「愛」の話です。
自分が3本食べて、2本をあげること = これが愛です。
見返りが全くないのが愛です。
何かしてあげて「お礼や感謝がほしい」、「いい人と思われたい」、こういう気持ちが出ることは「愛」ではありません。
反対にいうと、自分をまず満たしてあげることが愛を伝えることの一歩目です。
死を隣に置く
人間は死ぬということをどれぐらい近く感じていますか?
永遠に生きるように毎日を過ごしていませんか?
ラテン語でメメント・モリという言葉があり「死を想え」「死を忘れるな」という意味です。
死というものを隣に置いたとき、自分の人生が本物か偽物かがわかります。
確かにガンで余命宣告された人が残りの人生を大切に、丁寧に暮らしている姿を私も見たことがあります。
死を隣に置きましょう。
どうすれば死を隣に置いて毎日を充実されることができるか?
それはマイノリティーの道を進むことです。
みんながやったことがない生き方、前例がない生き方をしてみる
自分の前に道はないのでいつ死んでもおかしくはない、不安などがつきまといます。
そうすると自ずとメメント・モリの状況になり人生が本物になり輝きだします。
まとめ
今回は普通がいいという病に関して書いてきました。
他にも印象に残る部分がかなりあったので興味のあるかたはぜひ手にとって見てください。
まとめと今後の目標
- 自分の子どもを他者として認識して、どういうものに興味があるんだろうと観察する、先入観を0に。
- 頭より心に従う。心の声を聞く。
- 太陽方式で自分と他人に接する。決してコントロールしようとはしない。
- 自分をちゃんと満たす。まずは自分の心を大切にしてそれから他人を愛す。(自己理解コーチ)
- 死を隣に置くために、前例がないことにもチャレンジしていく。(個人事業主になってみる)
自己理解というもの他人の心を声を大きくするために大切なことだと改めて認識できました。