読了しましたので、私の感想を書いていこうと思います。
めちゃくちゃ学びありました。
この本はズバリ「生きる意味」がわからなくなった人におすすめの本です。
「自分が何がしたいのかわからない」「特にやりたいこともない」
こんな悩みはありませんか?
そんな現代の悩みを抱えた人にスバッと答えを出す一冊となっております。
私が印象に残った部分をまとめていきます。
富や名声、成功を追い求める時代が終わった

現在の人々は「私たちはそもそも何で生きるのか?」的なかなり根本的な悩みを持った人が増えたと言います。
この理由は、モノや情報が世の中にあふれてしまったからと言います。
昔は何が足りないものがあるとそれを作ったりして埋めようとしました。
例えば、
- もっと早く移動できる手段はないかな?→車、新幹線、飛行機の開発
- もっと遠くの人と気軽にコミュニケーション取れる方法はないかな? →インターネットの開発
などです。
ですがそのような「不足」がもうほとんどなく、たくさんありふれている状態であるというのです。
昔の人はその不足を埋めるために「生きる意味」を見出していたのですが、もう不足がそれほどなくなってきたので
そもそもの部分に生きる意味を考える人が出てきたと言います。
自分がない現代人

親や学校の言うことをしっかり聞け!と私は学生時代言われてきました。
それなりにしっかり言うことを聞く子どもとして育ったと思います。
皆さんはどうでしょうか?
ですが私は我慢していると言う感じではなかったですが、我慢が限界値が来ると体に影響が出てきます。
食欲がない、何事にも興味がない、怒りっぽい、寝れない、などです。
いわゆるうつ病の始まりです。
私たちはこんな感じで誰でもが「自我」の芽を摘まれて育ってきていると著者は言います。
自我の芽がないと言うことは言い換えると生きるモチベーションがないと言うことです。
まずはこの自我を復活させてあげるところからスタートしましよう!と言うわけです。
消費社会が受動人間を生み出す

こんな生きるモチベーションがなくなっている人が増えている背景に関しまして面白い考え方がありました。
例えば、
- スケジュールに空白ができるのが嫌なので、用事を埋める
- 通勤時間でスキルアップのため語学学習の勉強をする
これって受動的な行動でしょうか?それとも反対に能動的な行動でしょうか?
なんとなく、私は能動的な行動なんだろうな〜と思っていました。
ですがこの本はこれらを受動的行動としています。
なぜなら自分の中の「無」を避けるためについついやっちゃうようなことだからです。
例えば、丸一日朝から晩まで食事とトイレ以外は部屋でじっとすることってできますか?
スマホもパソコンもテレビも人と話すこともダメです。
めちゃくちゃキツくないですか?
これを本書では「空虚からの逃避」と言っています。
つまり空虚からの逃避である行動はすべて受動的な行動なのです。
現代人はこれがかなりキツイのではないでしょうか?
なのでいろんなものを消費することによって、自分の中の「無」から逃げる人が多くなる
=消費社会が受動的人間を作っていると言うわけですね。
かなり共感できる部分ではありました。
私も時間が空くと別にお腹も減っていないのに
コンビニに行ってスイーツを買ってしまったり、お菓子をつまんでしまうことがあるので
空虚からの逃避やっちゃっているな〜と感じました。
働くってなに?働くを改めて考える

私たちは学生を除くほとんどの人が働いていると思います。
働くってそもそもなんだっけ?っていうことをここでは考えていきましょう。
哲学者のハンナ•アレントはこんな感じのことを言っています。
- 労働... 生命や生活の維持のために必要に迫られて行うような作業。労働によって生まれたものは消費されるもので永続性を持たない
- 仕事... 道具や作品を生み出すような行為。生み出されたものに永続性がある。
- 活動... 社会や歴史を作るような政治的な働きかけや芸術のこと。
わかりやすく言いますと、労働は食べるために働いている人、つまり動物的な感じで生きている人のことを言っています。
アレントは「仕事」と「活動」を人間らしいものであると考えたようです。
ですが、この3つの労働、仕事、活動よりも大切なものが、観照であると言っています。
観照とは、先にも書いた自分の内面と向き合うことです。今でいうと瞑想とかマインドフルネスが近い言葉です。
なので労働という食べるために働くことを少しでもやめて、仕事や活動、または観照することを少しでも初めてみませんか?と
言っているのです。
労働によって生み出されるのは、消費材です。
消費材は先ほどにも言ったように受動的な人間に使われることになり、受動的な人間を生み出します。
そうなると生きるモチベーションを見出すことができなくなる人が増えるという仕組みです。
有意義病にかかっていませんか?

私たちは子供の頃からよく「有意義な夏休みを過ごしましょう!」とか言われてきませんでしたか?
有意義とは意義が有る、つまり価値がある時間の使い方をしましょうということですね。
確かに有意義な時間を過ごしたいな〜と思う人が多いと思いますが、実はかなり私たちの首を絞めている行為と言います。
例えば、日曜日が寝ているだけで終わってしまった。
この時、なんにもできなかった。。。と自分を責めたりしようとしちゃいませんか?
有意義に過ごせなかった。。。 有意義に毎日を過ごさなければならないと思い込む。
これが有意義病といいうやつです。
うつ病の方にはこの有意義病の症状を強く見られる方が多いらしいです。
じゃあどうしたらいいのか?
それは意義ではなく、意味のあることをしていきましょう。
意味のあること?どういうこと?
って思われるかもしれませんが、意味のあることとは言ってしまえば「自分がこれがやる意味がある!」と思ってしまえさえすれば、意味のあることになります。
つまりかなり主観的なものであり、他人の意見は関係ないのです。
意味は自分が勝手につけることができます。
なので生きる意味と生きる意義を混在しないようにしましょう。
生きる意味を失った人にやってほしいアクション

筆者がお勧めしている生きる意味を見失ってしまった人へのアクションプランが紹介されています。
- 即興で行動する
- 面倒くさいと思うことをやってみる
この2点です。
即興で行動するというのは、無計画で行動するということです。
ナビをつけずに勘で目的地まで行ってみる、スーパーに買い物で買うものを決めずに行く、などです。
面倒臭いと思うことをやるというのは、例えば、料理を一から作る、書道セットを買ってきて字を書く、などです。
なんでこの2つを著者がおすすめしているかというと、
頭より心を使うことが大切だからです。
即興で行動するというのは、頭で考える余裕がありません。予想ができないので
ちょっとしたスリルや非日常を感じるはずなので心がワクワクするはずです。
面倒くさいというのは心が感じていることではなく、頭が考えていることのようです。
なので頭の反応に惑わされないためにあえて逆のことをやって心にアプローチしていくわけです。
著者は一貫してこの心>頭の重要性を語っています。
頭で考えることができないこどものように心のみに従って生きていきましょう。
まとめ 私の今後のアクションプラン
- 意義よりも意味。自分が意味があると思ったらそれでOK!
- 自分の内面と向き合う時間を作る。何にもやらない時間。ブログ書いている時はこの時間に近い。
- 面倒臭いと思うことは頭で考えている証拠。あえてやる。
- 消費で「無」を紛らわす行動をやめてみる。暇になるとコンビニ行ってしまう。これをやめてみよ。
- 子どものように遊ぶ。